この頃、
2元論が広まってきているのは、嬉しいことなんですが、
どこの位置で言っているのかで、全く意味が変わってしまいます
ほとんどの2元論は、
「この世は良いと悪いとの2元であるので、そのバランスが大事です。」と言います
でも、
その「バランスをどうやって取ったらいいのか?」は、どこも教えてくれません
皆さん、アンケートって取られたことがありますか?
あと、○○式性格判断とか?
チャート式とかの●●判断とか、やったこと、ありますよね?
私もよくやっていました。
「あなたは●●が好きですか?」という質問も、
そういう時もあるし、そうじゃない時もあるなぁと、
気づく自分が出てきまして。
そうしたら、性格判断で出てくる性格も、
その基準によって、違ってきませんか
私はこれまでの人生で、
基本的に、「客観的に、物事を判断しないといけない。」と思っておりまして。
何かの問題が起きた時、双方の意見を聴くようにしていました。
となっていくと、
「どこまでがどっちで、どこまでがこっち?」が、わからなくなって行ったのです
でも、人は1つの所にしか居られないのですから、中庸なんて無理じゃないですか?
例えば、単なるアンケートでも、
圧倒的に良い。時ばかりじゃなくて、
こっちに比べたら、良い。とか、
この場合だから、良い。とか、
良い。の意見の中にも、色々な意見があって、事情があって。
大筋では良いだけど、
その中に入ると、
「ここまでは良いけど、マルマル良いと言っているわけではないんだけど。」とか。
またまた、そっちか、こっちかに分かれていきます。
羊羹みたいなものを、想像してください。
一本の羊羹をこっちとあっちと半分にして、
その半分の羊羹の中でも、こっちとあっちになって行って、
そのまた半分の羊羹にも、こっちとあっちがある…と永遠と続きませんか?
しかも、切ってしまったら、中庸って、
一体、どこになるでしょうね
(となると、多数決だって、
本当に皆さんの「意見が反映できているか?」は、甚だ、疑問じゃありませんか)
そういう風に、突き詰めていくと、
本当の意味で、中庸になんていられないなぁと正直悩んでいたのです。
でも、
「この世のしくみ」では裏も表も、同じ大きさで、
しかも背中合わせで、セットで存在すると言うのです。
だから、「中庸なんて、そもそも、無理」だと教えてくれたのです。
そして、どうしたら、いいのか?を教えてくれたのです。
それが、本当の答えだと、私の内側は感じました。
あなたは中庸に居られると、思いますか