「かぐや姫の物語」から、観えること

※画像はネットからいただきました

 

先日、スタジオジブリの高畑勲監督の

かぐや姫の物語」を改めて、観ました。

 

月?からやってきた「たけのこ」が、

翁が感じ取ってしまった

「高貴なお姫様として生き、それなりの生活をさせてあげるのが幸せ」という思考によって、

急に田舎の暮らしから、「高貴なお姫様」としての生活を強いられます。

 

翁には、全ては「姫」の幸せと信じきり、

「姫のため、姫のため」と出世街道をひた走ります。

 

姫は翁の気持ちをないがしろにしないように、と、

自分の気持ちを押し殺して、生きます。

 

その爆発した感情の描写に、息を飲みますびっくり

 

それに贖いながらも、翁の勧め通りに

高貴な人たちや帝まで、かぐや姫に会いに来ます。

 

とうとう、自分が何者で、

この世で、

何をして生きていたかったかを思い出しますが、

もう、間に合いませんハートブレイク

月から迎えが来ると言うのです。

 

こんな「かぐや姫」と同じような環境を、

どこかで聞いたこと、ありませんか?

 

ほとんどの親は「子どものため」と言いながら、

日本社会の価値観で作った道を、

歩かせようとしていませんか?

 

子どもたちは、そんなことをやりたいわけではないのに、

幼児教育と称して、

ベビー○○とか、○○式とかにせっせと通い、

(通わせられるほど、子どもは自分でいくことができないから、ママも一緒に行きますからねアセアセ

 

小学校に入ったら、

今日は塾、

今日は水泳、

今日はバレエ、

今日は英語、

今日は塾…、

他にも色々な習い事があるでしょう!!

 

休みはほとんどありませんハッ

今は、ただ、習っているのではなくて、

発表会や試合も目白押しですから、

覚えることも山とあります。

全て、結果を出さないといけませんタラー

 

 

もちろん、友達を遊ぶ時間もありませんしムカムカ

友達も皆んな、塾に行っているので、

友達と一緒に通い出します。

 

 

幼児の頃から、公園デビューで親がいるのは当たり前。

大人がいないと、遊びに行くこともできませんし、

遊べなくなって行きます。

常に、どんな環境でも、

大人が周りにいるので、自分たちの本音は出せません。

 

まるで、かぐや姫と翁との関係じゃないですかガーン

 

 

翁はありったけの戦力で、月の使者が姫を連れて行かないように、抵抗しますが、

人間が敵うわけがありません。

 

放たれた弓矢いて座は、可愛いお花になってしまいますルンルン

 

そして、月の衣を着た瞬間、

この世の悲しみも苦しみも、楽しかったことも、

全てを忘れてしまうのです花火

 

 

読書会で使う絵本「ママとパパをえらんできたよ」でも、

描写されているように、

 

あちらの世界から、

「私たちはこんな体験をしたい」

「こんな人生を歩きたい」と決めて来るのですが、

生まれた瞬間に、忘れてしまっているのです秘密秘密秘密

 

ですから、子どもたちも、

親たちの思惑に翻弄されて、

気づいたら、注意注意注意と言うことになってしまっているのです。

 

 

高畑 勲監督は、平安時代の物語から、現代の私たちに何を伝えようとしてのでしょうか??

 

 

その親たちも、

本当に社会の歯車になることが、

人間の幸せだと思っているのでしょうか?

 

 

 

今一度、

「明日のために!」と言う私たちの生き方、

子どもへの過剰な依存や、自分のエゴ

(私がうまく行かなかったから、この子にはそう言う風になってもらいたくない。)

     を手放しませんか?